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2008年6月 5日 (木)

少子化破綻 多子化破綻

060501出生率が2年連続で増加したそうだ。

しかし少子化に歯止めがかかっているかというとそうではなくて、率は上がってもあくまで親の数が減っているので子供が増えたわけではないそうだ。

ただ、この状況が続けばいずれ親の数も増えるはずなので少子化に歯止めがかかることにもなる・・・という理屈。

またさらに、この子供達が大人になる頃には、現在の初期少子化世代が高齢になってくるので必然的に高齢化率も現状よりかは下がり、子供の数が少なくとも「高齢化社会」からは脱することにはなる。

ただし全体的な人口は減っているだろうが。

さて、国策的にみれば少子化に歯止めがかかるということは一般論としては労働力の増加にもつながり喜ばしいことなのかもしれないが、正直本当にそうだろうかという疑念が湧かないわけではない。

なんとなく、更に財政がひっ迫してくるように思えてならない。

将来的な話ではなく現状でも、勤労世代の収入や経済的生産性はその人口に見合っているだろうか。

かなり疑わしいように思う。

新自由主義と呼ばれる権利主張型社会に突入して、よく分からない個の事由が追求されている昨今、個が社会とはどこか別なところに存在しているように思う。

本来権利というものは、あくまでも権利であってそれを行使するかしないかは自由に思うのだけれど、近頃は権利というものは行使しなくてはいけないかのように権利権利と叫ばれ、逆に義務は可能な限り回避しようとする向きがあると思う。

企業経営者と話をすることがある。

その決算内容に話が及ぶといかに節税能力を発揮しているかとか、実態とは関係なくいかに決算をプラスマイナスゼロ水準にもっていくかに注力しているかというような話を聞く。

企業に関わらず個人でも同じこと。

これは逆でしかるべきだと思えてならない。

仮にその利益分を従業員や株主などに増配してくならまだしも、会社として余剰金になったりあくまでも紙上のことで利益が消されていても全く意味が無いように思う。

むしろ、個人であれ企業であれ、少しでも減税措置を受けずに設定税額の完納をしているかがプライドに思っている。

国なり地域なりに対して少しでも多くの納税をするということは、少なくとも経済的にはより多くの貢献をしていることにもなり、少しでも多くの人を支えることにも繋がる。

ところが現状では個人でも企業でも節税はノウハウであり、能力であると見られる風潮があるのが残念だ。

 

仮に少子化に歯止めがかかり勤労世代が増加したとする。

しかしあくまでもその世代が勤労納税義務を果たした場合に限り国としてか潤うだろうが、「人道」や「社会福祉」の名の元に補助や支援が一方的に増加して行った場合は極貧状態に陥ることになる。

例えば一人の勤労者が納税していた税額を、10人でも満たせない社会になったとしたら、勤労者が10倍になったとしても歳入は変わらない。

一方で納税が1/10になるということは多くの場合「減税・免税・補助」がされている可能性も高く、歳出は増えていることが考えられる。

世代間扶養というこの国の社会主義的な思想の元で支えられる世代が高齢者だけでなく、若年層、青年層にまで及ぶことにもなり、中間層や一部の人たちだけで支えるアンバランスなシーソーゲームが繰り広げられることになる。

 

出生率の増加は喜ばしいことなのだろうけれど、それはあくまでも様々な意味で社会が利己的流れに走らなかった場合のみ言えることなのかもしれない。

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