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2011年4月 2日 (土)

報道は何をするべきか

040201東京に住むイラン人ジャーナリストがペルシャじゅうたんを被災地で配ったというニュース。

毛布のように掛けたり包まったりして暖をとる用になるものではなく、座布団として使えるようなものらしい。

これは考えるところが多いのではないかと思う。

報道は誤解しがちで気をつけなければいけないといつも自分にも言い聞かせているのだけれど、「誤報」があってはならないのはいうに及ばずだが、誤報でなかったとしても「報道されたから実際にあったことで、報道されていないからないこと」とは限らないということ。

ここでは「外国人ジャーナリストが配った」という報道だけれど、「日本人ジャーナリストは何もしていない」というわけではないので気をつけなければいけない。

それを踏まえた上で、日本のジャーナリズムは一体何をしたのかということ。

特に「大手」と呼ばれるようなところは。

例えば震災発生直後からヘリコプターなどを飛ばしあちこちで孤立している避難民がいることを流していた。

大手報道機関には「ヘリコプター」や高性能カメラという武器がある。

その威力は発揮されたのかという疑問、むしろ騒音で救助の妨害ばかり目立ったのではないかという疑問。

あるキー局のジャーナリストに言わせれば「関係各所がTVを見ているからそれでよい」ということだが、孤立している避難民にしてみれば「伝わったのだろうか」という不安感と信じるしかないという希望を持って待つしかない。

そこで「必ず伝えますから」と一言添えるだけでどんなに気の休まることだろうか。

また、避難所を訪れて着の身着のまま横たわる人たちに「大丈夫ですか?」と尋ねる報道側はヘルメットをかぶり腕には高級時計という図。

しかも各社が入り乱れて出たり入ったりの繰り返し。

「報道こそ使命」ともっともなことを言うが、それならば(結果的に悪評となった)ACのCMを繰返すよりも避難者リストでもひたすら流したらよいものを。

「スポンサーが」というならば、試しにリストを流したいがスポンサーになってもらえないかと言ってみればいい。

何もドラマや映画など放映権が絡んだ高価な放送をしているのではなくスタジオから情報を流すだけの安価な放送にスポンサーがつかないわけがないと思う。

むしろ「社会貢献」として企業価値やイメージはずっと上がるだろうから。

国内と国外の報道機関を比べて、どちらが真実かとか迅速かとかいう問題ではなく、根本的に体質というか理念の違いを感じざる得ない。

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コメント

困ってはお互いを手伝うことになる、
皆さ]ん頑張ってください~[E:house

投稿: クリスチャンルブタン サンダル | 2011年4月13日 (水) 15時30分

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