当然のことながら発電をしていない福島第一原発に続き、中電の静岡浜岡原発も停止。
敦賀原発や女川もなんだかきな臭いことを聞くし、どこであれいずれやってくる定期点検に伴う停止明け再稼動は難しいのではないかと聞く。
全国的に電力は逼迫してくるだろうが15%の節電目標や、大口需要者は自家発電に力を入れたりなんとか凌ごうとしている。
一方で、こういう点では本当に妙な団結力だと感じるのだけれど、メディアでは一斉に「クリーンエネルギー」とやらで風力だとか揚水力だとか、当然ながら大御所のソーラー発電だとかそんなことをアピールしてすばらしい、すばらしいの一色。
ついこの前までは原子力ことクリーンと言っていたはずなのだけれど。
まぁ、それが「クリーン」かどうかは別にして、今や生活になくてはならなくなっている「エネルギー源」を一つではなく複数持つことはよいことだと思う。
同じように、その「供給会社」にも選択肢があってしかるべきだとも思うのだけれど。
損害賠償費を電気料金に転嫁することは許さないとは言え、もし転嫁せずに賠償できるのならば、賠償責任が発生する事象が起こるずっと前から電気料金は値下げされていてしかるべきで。
経費削減の企業努力で「転嫁」されなかったとしても、それは利幅が増えていることになるので電気料金に変更がなかったとしても実質値上げのようなもの。
そんな時、こんな会社は嫌だから他の電力会社の電気を買おう…という選択肢は今の日本では基本的には全国どこにもない。
自分で発電するという選択肢などは当然残るが。
ところで、クリーンエネルギーでも、安全性を強化して原子力でも、そして節電でもよいのだけれど、一つ文系なりの疑問。
蓄電の研究はどうなっているのだろうか。
直流と違い、交流の蓄電はほぼ無理に等しいというのは重々承知のことだけれど、無理なことを可能にしていくのが技術力であって、何かとんでもない目からうろこがボロボロ落ちてくるような発想が世界のどこかから飛び出てくるように思えてならない。
ものすごく逆のことを言えば、交流をなくしてやれ!くらいの発想さえ出てきそうだ。
もちろん、交流は直流に比べものにならないくらいのパワーを発生させる大きな違いがあるらしいということも認識している。
だから「動力」としての直流にはかなり限界があると。
しかし、例えば車も同じようなことをずっと言われていた。
電池の問題で馬力を出せないので電気自動車は夢物語というような。
しかしそれも決して見劣りしないレベルにまで達してきているし、ポルシェなどは500馬力超をたたき出すV8エンジン搭載した918スパイダーを発表するみたいだし、建設重機などでもハイブリッドは出てきている。
ならば、直流電源で鉄工所が動くなんていうのも夢ではないように思うのだけれど。
もちろん、そもそも交流のまま必要になるまでエネルギー転換ループに突入させればロスはたくさん出るだろうけれど一つの蓄電にもなるはずだし。
そのロスを低減させるのが技術だったり。
いくらなんでもそれならそれほど難しい技術でもないと思うのだが。
揚水発電と似た発想だけれど。
東日本と西日本でヘルツを統一したいね…くらいのことが話題になるのだから、誰か笑い話程度でも「蓄電したいから全部直流にする?」くらいのことを言い出してもよい気がするのだけれど。
技術革新は、常に常識を無視したとんでもない笑い話から始まるものだと思うので。
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