エネルギーの転換
東日本大震災復興対策本部を欠席した海江田経済担当産業大臣。
首相は「大震災に対する対応、原発事故に対する対応について、内閣としてやるべきこと、もちろん100点とは申し上げないが、私はやるべきことはしっかり取り組んでいる」と言ったそうだが、さすがだ。
震災からの復旧復興には経済は関係なく増税で賄おうとするだけあって、経済産業大臣の出席は必要ないということだろうか。
震災直後に、過去の為替介入程度の通貨取引を「政府系運用機関」が行っていれば、計算上震災の損害金や復興資金は十分に市場で調達出来た計算になるが、そんな行動を日本政府が行うわけもなく。
現在原発問題に絡み、「再生可能エネルギー」という言葉が独り歩きしているが、このエネルギーという言葉はシンプルでかつ深いといつも思う。
エネルギー転換の法則と言ったか、既存のエネルギーは転換されるとき、必ず同等のものとなるというようなことを中学くらいでやった記憶がある。
「転がるタイヤは低燃費」というCMが流れているがまさにあれで、ガソリンを爆発させて車を走らせたとしても、必ず前進力と共に熱や摩擦など様々なエネルギーに転換されるわけで、それを出来るだけロス無く伝えられれば低燃費になるということ。
一方で日本経済というのは独特で、ある一つの大きな力が作用したとき、なぜかその嵐が過ぎ去るのをじっと堪えて待つ傾向にあると思う。
ということはWのエネルギーが必要になるということではないだろうか。
まずは嵐に「耐えるエネルギー」が必要で、その次は嵐のエネルギーが生み出した破壊のエネルギーと同等のエネルギーを自ら生み出して修復。
つまり自然の猛威が生み出す人知を超越したエネルギーと同等かそれ以上のものを人力で生み出さなくてはいけない計算になる。
しかも自然の「蓄積したエネルギー」と同等の期間は待てないので短期間で。
普通に考えて強烈な無理が発生するはず。
耐え忍ぶことを美学とするのも良いかもしれないが、経済においてそれは「負担」でしかなく、強烈なエネルギーをいかにロス無く次に伝達させていくかの発想が無ければ、永遠に少しずつ削られていくだけではないだろうか。
そんな姿勢の国に、「再生可能エネルギー」という分野が向いているとは思えない。
単に、「危険性の低いエネルギー」という着眼に終始するのではないだろうか。
最近のコメント